南天より/ Just Before the Day

つよくやさしくかしこくうつくしくなる、そしていきる/ Something Private

そんなこともあったねと笑うための記録

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長い気鬱の時期が明けようとする気配を感じた。窓の外を見ると久しぶりの快晴で、気温は昨日と同じに低いけれども、出かけるには良い日に思えた。少し考えて、差し迫って必要ではなかったけれど、欲しいと思っていた体脂肪率も測れる体重計を買いに、歩いて三十分ほどの距離にある大型量販店へ赴くことに決めた。この、差し迫っていないものに考えや時間や体力を割ける余裕があるという事実が、私に快復を感じさせ、それを少しだけ嬉しく思った。

 

気塞ぎの時期に誕生日を迎え、それもあってかずいぶん長いことどうにもならない状態でいたように感じていたが、数えてみたらたった四ヶ月の間のことだった。されど四ヶ月。最初はちょっとした気分の不調から始まった。一応考えられる限りの不調の原因を遠ざけてみたが効果がなく、そのうちそういったこともできなくなって、ある日、ある種の明るくさっぱりした気持ちでもって「死んじゃおうかな」と思った。その時初めて、これはまずい、と気づいた。

 

それからは無理だと思った時は無理をしないように、学校を休んだり仕事をほどほどの力でこなしたり人との付き合いを断ったりして過ごしたが、いちばん悪い時期はそこから始まったようにも思う。やれていたことがやれなくなった罪悪感や、遅れが出る仕事、かけているかもしれない迷惑、卒業にかかわる出席や課題提出についての心配。何が原因かわからぬまま、じわじわと日々のことができなくなり、週に三日の学校に通えなくなり、かといって家で課題もやれず、仕事だけはなんとか取り繕って行ってくたくたに疲れ、日が高くなるまで眠れず、一度眠りにつくと起きられず、食欲はなくなって食事は一日に一度だけ、すぐ食べられる菓子のようなものを食べるのが精一杯になった。

 

そんなある日、あれはたぶん誕生日を迎える前の週、眠りから覚めたら耳鳴りと頭痛がして、その日の分の食事をする頃にはまるで水中にいるかのようにすべての音がとても遠くなった。その日は替えの効かない朝シフトの仕事があり、困って職場に連絡すべきかモバイルを握りしめている間に右耳だけが回復した。片耳聞こえるなら仕事はできるだろうと電車に乗り、吐き気と戦いながら職場に着くと、今度は三半規管がイかれてうまく歩けない。酔っぱらったときのように視界がぐにゃぐにゃとして足元がふらつき、片耳がだめなだけでこんなになるんだなあと驚いたのを覚えている。その日は結局周りに耳が不調であること、だから物にぶつかるかもしれないこと、自分がきちんと発声できているか不安なので聞きにくかったら遠慮なく聞き返して欲しいことなどを伝えてなんとか凌いだ。

 

原因がわからないまま始まった気鬱は、また原因がわからないまま徐々に快復へ向かった。まず本が読めるようになり、耳の回復に合わせて取り寄せた楽器が慰めになり、食事を作れるようになって、なにもかもがつらくて起きられないということが減った。まだ横に置いて目をそらしているものはたくさんあるが、今日はいい天気で、往復一時間の散歩はおそらくいいアイディアで、外には梅のようなものが咲いていて、昼間も月が出ている。種が落ちた後の殻がぽっかりと茎に伸びている木通に似た植物や白い産毛の生えている肉厚の葉の茂る庭先で明日はコーヒーを飲んでもいい。

 

つらかったときのことはいつもあまり思い出せなくなるから、文字に残すのはいいかもしれないとこれを書いた。少し先、そんなこともあったねと、話せたらいい。